2008年12月アーカイブ

「相手の気持ちに立っての行動を」

1223日、東京の両国国技館において、プロボクシンのWBC世界フライ級タイトルマッチが行われました。

王者・内藤大助選手が序盤から圧倒し、11ラウンド111秒、挑戦者の山口真吾選手をTKO勝ちで降して4度目の防衛に成功しました。

内藤大助選手は、1974年生まれの34歳。身長163センチで、階級は、フライ級108112ポンド、49.050.8kg)の華奢な体格の選手。その彼が自己の持つ世界王座日本人最年長防衛記録を343カ月23日に伸ばした快挙は、敬意を表するに値するものと考えます。

彼がボクシングを始めたきっかけは、北海道時代にいじめられて育ち、その記憶から地元へ戻った時に、また、いじめられないようにと思ってのこと。

このことは別として、彼の記事の中で頭に残った言葉がありました。それは『叩かれる(打たれる)痛さを知っているから、ボクシング以外で相手を叩かない』という言葉でした。ボクサーとして、至極当然のことなのですが、何事においても力を持つと自分よりも弱い方へその力を向けてしまうのが人の性と言えます。

障害のある人々の世界にも言えることではないでしょうか?

障害があることで様々な体験をしてこられたものと思いますが、そのことによって障害のある人の社会生活上の痛みや辛さをご存知のはず。だからこそ、それらの痛みや辛さを他人に向けるのではなく、日ごろから、相手の気持ちに立っての行動をしたいものです。

毎日の生活に着実に『変化』をもたらすことが大切なことではないでしょうか。

先日、清水寺で毎年師走の恒例となったその年の世相を反映した漢字一字が、発表されました。

『変』という文字でした。

私はこの字を見たとき、今年は変なことばかり起こったからかなぁ、と思いました。

なぜかというと、ゲリラ豪雨、元来そこにいないはずの動植物の発生、ガソリン価格の乱高下などなど。多方面にわたり、通常考えられないことばかり起こった年でしたから...。

でも、実際には、私のようなマイナーな捉え方ではなく、『変化』の『変』ということでした。

アメリカ風に言えば「CHANGE」。

国民の多くは、何かしらのチェンジを求めているようですが、何をチェンジしたいのでしょうか?

世の中の『変化』は、多くの人びとの力を必要としますが、個人個人の身体の『変化』は、自らで明確な目標を立て、しっかりと意識づけをし、継続することで、『変化』は、可能となります。

皆さんは、障害を軽減し、もっと動けるようになりたい。健康を維持し、働きたい。など、いろいろな願いを持たれていることでしょう。

それらの願いを現実に導くために、スポーツを通して身体とともに、毎日の生活に着実に『変化』をもたらすことが大切なことではないでしょうか。

事件記事について思う!

千葉県東金市で起こった成田幸満ちゃんの死体遺棄事件の容疑者が、事件発生以来77日目に逮捕されました。

このことは、事件のあった地域の住民に大きな安堵を与えるものであったことに違いありません。

ただ、今回の容疑者の逮捕にかかる新聞記事等マスコミの報道を見ていて気になった点がありました。ある新聞の記述を挙げると『...容疑者は2005年、主に知的障害のある生徒を受け入れる県立養護学校(現特別支援学校)の高等部を卒業し、...』と書かれていました。

確かに、報道は読者や視聴者等に真実を伝えるという使命があることは、十分承知しているつもりですが、ここまで書かなければならないものなのでしょうか?

知的障害という字句が紙面に載ることによって、同じ障害のカテゴリーに当てはまるすべての人々が同一視され、変な目で見られてしまうのです。

こうしたことが、往々にして知的に障害のある人々の社会参加を阻害するばかりか、その地域での家族、施設までもの存在さえ危うくするのです。この報道後、府内のある知的に障害のある人々が働く作業所の職員の人と話す機会があったのですが、紙面等に「知的障害」と書かれたことを、「いろいろな面で大変です」嘆いておられました。

障害のある人々が、地域で生きていくことは、どうしても周りの人達の正しい理解が必要となります。ちょっとした記述が誤解を生み、理解への障害となり得るということも、記事を書くときには、同時に考えて欲しいものです。