2009年4月アーカイブ

口惜しくて何ともいえない思い。

先週の休館日、朝、ふとんの中でゆっくりとテレビを見ていると、「心身障害者」の問題が取り上げられていました。

ご承知のことと思いますが、「心身障害者」といわれる人たちとは、単純障害ではなく、身体的な障害と知的な障害を合わせ持つ人。つまり、障害が重複している人たちのことなのです。

こういった人たちが、いま、わが国には、約38.000人おられるとのことですが、このうち施設に入所できている人たちの数は、約12,000人余で、残りの約25,000人余の人たちは、在宅を余儀なくされているそうです。

心身に障害のある人たちは、比較的障害の程度の重い人たちが多く、気管切開などをしていて、準医療的な行為を家族自身が行わなければならないのが現状で、家族にかかる負担度は大変大きいといわれています。

その負担を負担とも思わず、目標を立てて前向きに日常の生活に取り組む家族の姿が映し出されていましたが、これを見ていてある思いが込み上げてきました。

施設の絶対数が足らないにもかかわらず、知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる社会の福祉感もさることながら、私たちは、日ごろから「すべての障害のある人々にスポーツを通して健康の維持増進と社会参加を!!」といいながら、これらの障害のある人々とその家族の人たちにこそ、健康の維持増進と社会参加を支援しなければならないのに、私たちの容易に手の届かないところにおられるということが、口惜しくて何ともいえない思いを持ちました。

「自由」ということは。

先日の京都新聞に京都大学の入学式の記事が載っていて、その中で、松本紘総長は式辞で、木下廣次初代総長の「すでに後見を脱したる者として、我は諸君を遇するなり」という言葉を紹介し、「自由を誤解しないで欲しい。自由とは自分を大切にして個人が光り、自由な発想で行動しつつも社会や周辺の人々を思いやり、責任ある態度を貫くこと」と強調したことや、卒業式で毎年仮装学生が目立つことに「自由と勝手気ままは違う」と苦言を呈したことが書いてありました。

国際障害者年以降、障害のある人々に入る情報量が増えるとともに、様々な機会を通して、様々な場面で、様々な意見が言えるようになりましたが、勝手に解釈をして自分に利することばかり言う人がよく見受けられます。

皆さんは、IL運動(Independent Living)をご存知でしょうか。

IL運動とは、カリフォルニァのバークレーで始まり日本にも広がった障害者運動で、「自立生活運動」のことを言いますが、そのいくつかある主張のひとつに「障害のある人の自己決定権は同時に障害のある人自身が責任と義務を負うことを意味する。」という文言があります。

「自由」ということは、周囲の人々のことを気遣うとともに、責任と義務を伴うことを理解し、誤った使い方をしないようにして欲しいものです。

改定の季節!

大変お待たせしました。

今日、41日からリニューアルしたプール施設を利用していただいています。

私も昨年度は故障続きで、年度末にも、家で足元に落ちたものを拾おうとしてイスから落ち、いやと言うほど頭を打ってダウン。皆さんも気をつけてくださいね。

年度変わりといえば、今年度は、電気料金やガス料金、小麦粉の値下がりによるパンの値下がりなどが発表されており、日常生活に関連した物価がダウンすることは歓迎すべきことなのですが、反対に困惑する改定もあります。

厚生労働省が、4月から導入した要介護認定調査の新基準では、介助を必要とする場面上での評価を優先した認定が行われることになり、根本的な日常生活に支障を与える機能の評価を用いない認定の仕方で、常識外れの基準が多いといわれています。

例えば、寝たきりの人は、介助の必要なしとされたり、頭髪のない人や短髪の人は、整髪(頭を拭くなどの類似行為を含む)の介助が発生しないとされるなど、認定の見直しで格下げが生じて介護の切り捨てが起こるのではという不安が広がっているといわれています。

自らの生活は、自らで声を上げなければ守れません。

もっと声を出していく必要を感じますが、まだまだ、声を出すということを個人的な要求をすることと勘違いをされる人も多く見受けられます。とりわけ、人々の福祉に関わる事柄では、木を見て森を見ずというような、近視眼的な発想からは、少しでも早く抜け出していただき、大局的な観点から福祉というものを見つめ直して欲しいものだと考えます。